2019年9月26日木曜日

時と場合でフレーズのニュアンスは変わる?

昔、小学校の運動会の帰り道、こんな会話を耳にしました。当時、帰り道はみんな徒歩で家に向かうのでした。夕焼け小焼け時刻で、参加した両親も来てくれた人も、みんなパン食い競争、ムカデ競争やリレーなどでやりきったという達成感と疲れでヘトヘトでした。そのためトコトコというより、無言でトボトボ歩いて見えていたでしょう。私の前に歩いていたのは、確か3年くらいの男の子の家族団らんの一コマでした。そう、昔は運動会って家族が参加するのが当然な空気でお祭り感もあったんですが、今は共働きの家族などへの配慮もあり、平日の午前中で終わらせる小学校もあるみたいです。

当時、運動会の1週間くらい前に自転車でカーブを曲がり切れず転倒、人生9年で一番の両膝のすりむきの怪我をしてしまった私。特に右膝がひどかったんですけどね。へへへ。公園の砂が道路に散らばっていて、そこでカーブしたので曲がり切れず滑り転倒というわけです。人生初めてのご近所の外科通い。ただのすりむき傷だったのですが、綿花をはがす時にまた深い傷になると言った感じと、なぜか治りにくい体質だったのか毎日通う事に。包帯はいつのまにか運動会の練習とかで薄っすら汚れてしまいますが、週に1度真っサラのストレッチタイプの包帯が交換される日は楽しみでさえありました。さらに待合室には当時流行していた漫画がずらりと並んでいたので気分はウキウキでした。

さて、運動会の話に戻りますが、両足はぐるぐる巻きの包帯の上にサポーターネット、まるでバレーボール選手みたいと母がフォローしてくれたので、まあいっかと少し気に入るくらいでした。徒競走も遊戯ダンスも無事終わらせ、運動会の閉会式の後も校庭の滑り台で遊ぶあそぶ。普段遊べない分、「もう帰るよ」の声にも聞こえないふりをし、ネバリにネバリまるで怒る様に、運動会よりも滑り台を何往復もし、登り棒やウンテイを反復し遊びまくったのでした。結局、校庭を飾る世界国旗もいつのまにか片付けられ、夕焼けが見えるまで遊びほうけたのでした。

それでもまだ余力が残り、暇をもてあまし帰り道は近くに咲いてる雑草の草花をちぎりながら歩いていたので、その何気ない会話にも耳をたてたのでしょう。まだ幼稚園の年少くらいの妹と体操服を着た男の子との会話でした。男の子も小学校3年生くらいだったでしょうか。

妹:今からどこいくん?

お兄ちゃん:今から家に帰るんやんか~♪

他の家族:爆笑

何とも笑みがこぼれそうな、ほのぼのした家族団らんの一場面。当時はそれで終わりでしたが、今思い返してみるとこういうケースだったら、ああいうケースだったらと色々思い浮かんできました。例えば、もし妹が100歳近くのおばあさんだったらどうなるんだろうって。

おばあさん:(満面の笑みで)今からどこいくん?

お兄ちゃん:今から家に帰るんだよ♪

他の家族:も~、おばあちゃんったら♪(苦笑い)

爆笑というより、ちょっとしたホラーですよね。おばあちゃん、もしかして、もしかして、もしかして・・・認知症?そんな心配な部分も見えそうな会話です。妹の場合、家から小学校までの道をまだ覚えていないんだな、可愛いなってなりますけど、おばあちゃんの場合、家までの道を忘れちゃったかも知れない?!となるわけです。でもこれって、かなりおばあちゃんという形に対して、固定観念入ってませんか?

もし、日ごろからカラオケ大好きで、毎日1人カラオケに通っているおばあちゃんだったらこうなるんじゃないでしょうか。

おばあちゃん:今からどこえいくん、えー?

他の家族:おばあちゃんったら、やだー、まだカラオケいくつもり?ははははははは♪

そう、おばあちゃんやおじいちゃんの日頃の性格をよく知っていれば、いきなり心配→認知症という発想にはならないんだなって。

普段の会話でもいえそうですが、自分と性格が真逆な場合、相手が言った事に対して心配な面だけで捉えようとしてしまいがちです。そうなると、捉えた側が辛い、腹立たしい、不機嫌などの愉快でない状態になってしまいます。そうならないための対処法ってないのかなって考えてたんです。こんなのどうでしょうか?

自分にとっては理解しがたい事を相手が言っても自信を持って発言しているなら、それは相手にしか分からない根拠で、しかもその人にとって正しいと思って言った事なら、そういう場合、あまり突っ込まずにそっとしておいてあげるのが一番じゃないのかと。(最近思う様に実験中です。)もちろん、逆もしかりで、そっとしておいて欲しいっていう願望もあるからなのでしょう。

似たような例があります。ある日、知人と両親の話について語っていた時の事です。「親とは会話、通じないからね♪」とその子は言ったのでした。(謙遜で言っているな。)そう直感で分かりました。親の存在をすべて受け入れている釈迦の様ないい子だと思いましたが、一方で、親=会話が通じないと決めつけてしまっている面で、その子が恐ろしく冷たいと思う自分もいました。多分、その子がその時言いたかったのも、話し合っても分かり合えない場合の対処法だったのかなって。

さてさて、もし、最初の運動会の帰り道の会話が、恋人同士だったらこんな感じでしょうか。


夕焼け小焼け、カラス鳴く。すすき広がる脇道。

彼女(彼):今からどこいくん?
彼(彼女):(??)

他愛のない会話ですが、なんだかドキッとしてしまいませんか!夕焼けがそうさせてしまうのか、手をつないでいたからそう思うのか、彼女と彼という関係だからそう思ってしまうのか、カラスとすすきがそう思わせるのか、目的がないから余計ワナワナドキドキするのか。幼稚園児や小学校1年生くらいなら、更に愛らしいし、100歳過ぎの場合でも微笑みたくなりますよね。もし、デートの目的場所が分かっていれば、逆にしらけますが。

悲しい言葉にもなります。例えば、保育園に送っていく時や、愛しいワンニャンにお留守番させておく場合や、松本清張の感動ドラマ「鬼畜」で宗吉が長男の利一を海に連れていく時だったりと、別れの途中で使えばとんでもなく悲しい言葉になってしまうんですよね。

今からどこいくん?という言葉、楽しかった過去を回顧する時や、さらに楽しい目的がある場面で使えば効果的である一方、使い方が難しいフレーズでもある事が分かります。あんなに疲れていたみんなの爆笑を取ったあの子の絶妙なタイミングや言い方、今さらながら感動ものです。



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