2019年3月8日金曜日

気持ちのトリートメント

実は褒められる事は少ない?

子育てには、褒めるという言葉が頻繁に出てきますが、大人になると褒められる、褒めるという事はあまりないのかも知れません。久しぶりにクライアント様から褒められました。人って、なかなか褒められる機会なんて大人になるとないものなんだなと改めて実感するとともに、褒められなくても全然平気なんですが、久しぶりに褒められると凍りついた氷が解けていくみたいな、そんな不思議な感覚になります。

それは、風邪をひいたりして学校や仕事を休んでまあ、今日1日、2日くらい寝っぱなしで食事なんて摂らなくても平気や~(彦摩呂さん風に)と思いながら爆睡している時に、美味しいスープを持ってきてくださる方がいるみたいな、そんな感情にも似たものがあります。

それは、期待していなかった事が突然起るのとも似ています。大きな宝くじが当たることも、商品がヒットすることもそうですが、何気ない潤いって大切なんだなとしみじみ思うのでした。

潤いながら過ごすということ

恋愛も結婚もいろいろな形がありますが、感情論だけで言えば、拾われてきたネコが主人にべったりするようにぴったりした感じ、相手が少し出かけるだけで不安で仕方がないなどというタイプは、多分、相手が自分の想像力を超えた何かをいつも与えているか、もしくは、自分が相手から相手が想像する以上のものを取り入れる想像力があるのかどちらかでしょう。それは超潤うという事であり、相手に執着し合えているつまり、ラブラブと言う事なのでしょうが、そんな事続くわけがありません。潤いのある生活は必ずしも、超潤っている必要はありません。潤いのある生活は、お互いに相手に対して何のわだかまりもなく過ごせているという事です。つまり、普段何気なく過ごせていれば潤っている事にはなります。しかし、そんな事すら、ほぼ皆無と言っていいくらい貴重だという事も、潤いを形にすると分かる事があります。

潤いはあって当然?

結構深刻な話を夜中に語り合っている時に流れる鈴木雅之の「シークレットブギー」を聞いて思わずそのテンションの高さに吹きだしてしまい、高い歌唱力に聞き入ってしまう。潤いは日々つれづれにどこにでも存在しているのかも知れません。しかし、潤いがあっても、それを受け取る自分の状態が良くないと、せっかくのプレゼントすら気づかないままになります。逆に、気付くことなく過ごせる、つまり当たり前に過ごせる事が一番循環性がいい状態で保たれているのかも知れません。たとえ潤っていても、日々潤って充実しているなぁとは日々考える暇もないくらいです。

潤っている、つまり何のわだかまりもない日々を客観視し、相手と共有する方法があります。一番手っ取り早いのが、「ありがとう」とです。漢字で書くと「有難い」となり、今、この時は奇跡だと言わんばかりです。

自分は、1日にありがとうございます、ばかり言っていると思う方もおられるでしょう。しかし、ありがとうという言葉も、人によっては言う機会すらない場合もあるので、ありがとうと言える言葉のパスだったり好意のパスがあるという今を感謝出来ているということに、感謝するのもトリートメントかも知れません。例えば、こうです。

A:昨日お料理失敗した~
B:え?
A:

A:機能お料理失敗した~
B:今日は成功するよ~
A:ありがと

というように、最初の会話では「ありがとう」は出てこないのです。ありがとうばかり言ってやがると思ってしまう人、ありがとうばかり言ってしまうと思ってしまう人は、そんなこと思う必要ないって思います。しかし、「ありがとう。」と伝えてみる事は、かなり勇気がいる事です。なぜでしょうか?

状況の捉え方は人それぞれ

例えば、共働き夫婦の場合などでは役割分担をしている場合はどうでしょうか?

A
妻:掃除機終わった~♪
夫:そうそう、今週末のお出かけなんだけどさ~♪

B
妻:洗い物終わった~
夫:ありがとう♪

どちらも間違っているとは思わないと思う人も多いはずです。しかし、潤い感あるなぁと思うのはBではないでしょうか。では、AとBの違いっていったい何なのでしょうか?Aの場合は、2人の役割分担を日々のルーティンだと思っています。つまり、家事の役割分担を仕事だと思っているわけです。なので、役割を重視していますから、掃除機がけは妻がするべき仕事で、それは行われて当然だろうYo~Yo~(リズミカルに)だと夫は思っているのです。

Bは役割こそ決めてはいるものの、家事全般を2人の共同作業だと思っています。洗い物を実際にするのは妻ですが、夫も一緒に洗い物をしている気持ち、スタンスでいるので、”僕(私)の代わりに洗い物をしてくれてありがとう”となっています。どっちでもええやん?ん?と思うでしょうか?

ではこんな想定をしてみましょう。ある日、妻が熱で3日くらいしんどくなり、お料理も掃除も出来なくなってしまいました。しかし、妻は熱が出たというのが嫌なのでこうなったとします。

妻:今日は出前にしよう。

この時、夫は手作り料理が食べたかったとします。Bの場合、妻の役割であるお料理作りも自分の仕事として考えていますので、妻が作らないと言えば代わりに自分が作ればいいとなります。自分で作りたくない場合であってもこうなるでしょう。

妻:今日は出前にしよう。
夫:今日は僕が作るよ。

とか、

妻:今日は出前にしよう。
夫:そだね。

などなど

しかし、Aの場合、夫は料理を作るのは妻であり、妻は役割をさぼったと思ってしまいます。そうなるとこうなります。

妻:今日は出前にしよう。
夫:なんで?

もし、妻が4日目も出前にしようと言ったのなら、こうなるでしょう。

妻:今日も出前でいいかな?
夫:ぬわあああにぃいいい!僕ちゃんをないがしろにしたな~

妻の言葉足らずにも問題はありますが、心ない言葉にショックを受けるでしょう。つまり、ありがとうという言葉は、相手に対して感謝しているという意思表示を表すだけでなく、相手との状況に感謝しているという言葉でもあるのです。そのため、Bの場合、相手の役割である事までも自分の役割と思っている事になるので、それは相手を安心させる言葉になっています。しかし、ありがとうと言葉で言う事、言われる事に抵抗を感じる事もあります。

恩着せの手段として使うべきではない

先ほどの役割分担を例ですと、妻が役割分担をルーティン、つまり自分の仕事は自分の仕事、夫の仕事は夫の仕事だと割り切っている場合などです。

妻:洗濯干し終わった~
夫:ありがとう

妻:お買いもの行ってきた~
夫:ありがとう

妻:ハムエッグ作っといたからね。
夫:ありがとう

妻:あなたの好きなピザ、全部食べたわよ。
夫:ありがとう

妻としては、毎回ありがとう、ありがとうばかり言われてしまう事に対して、自分はルーティンとして捉えているので、毎回なんだかしんどいと思うかも知れません。また、家事は無限にあるとさえ言われていますので、毎回このやりとりをすると、ありがとうと言われた方はどんどん自信がついていきますが、言い忘れたりした場合、何で言ってくれないの?となる事さえあります。さらに、わざわざ言わなくてもいいと思う節が、相手が言って欲しいと思う節とズレていると揉める原因にもなります。例えば、専業主婦の場合などは、夫が家の大黒柱である事について、給料日ごとにこの様には言いません。

妻:毎日暮らしていけるのはあなたのおかげよ、ありがとう。

しかし、ありがとうという言葉が恩着せの手段として使われてしまう場合、妻がしてくれている家事について、いつも夫はありがとうを連発しているのだから、自分の手柄である大黒柱部分についてもありがとうと言って欲しいとなる事があります。それにもかかわらず、妻がありがとうと言わない場合、不公平を感じてしまうことになり、エスカレートするとこうなります。

夫:誰のおかげで・・・!

自分の手柄に感謝されないと思ってしまい過ぎたために、相手にありがとうや感謝を強要してしまいます。

自発的なありがとうと強要されたありがとうは違う

妻は日々の潤いある生活の中で、わざわざ感謝しているよ、ありがとうと言葉に出さなくてもいいと思っている一方、夫は自分の大黒柱としての手柄に対して、ありがとうなど感謝していると示してほしいと思っていたり、価値観が違う事があります。ここで、感謝を強要する人は、感謝を言葉にしない人について、感謝していないと思ってしまう誤解があります。そのため、感謝やありがとうを強要してしまう事には言い方や受け取り方でDVにもなりかねませんし仲が悪くなるのは言うまでもありません。

ありがとうや感謝を強要してはいけない理由

確かに、良かれと思って相手のためにした事が、相手から何らありがとうや感謝のリアクションがなければ不安になります。しかし、ありがとう、感謝するという事は、相手からのプレゼントに対する有難いという気持ちであるとともに、相手が与えてくれたプレゼントについて、自分で準備出来なかった事に対する自分への戒め的なニュアンスがあります。そのため、ありがとうや感謝を強要する事は、自分を戒めなさいと言っている事でもありますので、相手の自信喪失にもつながります。ありがとうを強要した地点で、その人が相手に与えたすべてが相手のありがとうボックスから消えてしまうでしょう。そうなると、何でありがとうなんて言わなあかんの?となるわけで、それでも言ってもらいたいのなら、逆に、ありがとうと言ってくれてありがとうと言わなければならなくなってしまいます。

ありがとうは人為的なものではない

人を勇気づける事が出来たり、日々のライフの潤いを共有できる手段であるありがとうは時に、シチュエーションや使い方によってありがとうの効果が薄れる事もあります。ありがとうという言葉を発していても、思いがない場合や実はありがたく思っていない場合、その実の思いが相手に伝わってしまうということなのかも知れません。そりゃそうですよね、ありがとうと言いながら怒っている場合、ありがとうと言われながら恐いなと思うでしょう。海外コメディーによくある風景です。

キャベツ:お誕生日おめでとう。(プレゼントを渡す。)
セロリ:ありがとう
キャベツ:なぜプンプンしてるの?
セロリ:誕生日、来週なの。

この場合、誕生日が違うという事を知ってもらいたいためにプンプンしています。この様に、ありがとうの根底にある感情を見せたい時には怒りながらのありがとうを言えば、相手によりマイルドには伝わるので、これはこれでアリでしょう。

ありがとうと言う方が円満におさまるのは本当です。つまり、ありがとうはオールマイティな言葉なのです。本当に気持ちを込めて毎回言う場合も、1日に何百回言っても、気持ちがこもっていないとしても、言われた方は嬉しいものです。言い換えますと、野に咲く花々の様にどこにでも、あればいい気分になれるそんな言葉なのです。しかし、気持ちを込めていたり、グッドタイムなシチュエーションで使う事が出来たありがとうは、その人がその花に気付いて、その花が美しいと思う様にその人の気持ちに入っていきます。

響くありがとうの場合、よほどお互いに相手の状況、感情が分かりあえている場合でないと、妙に重く、カラスのカーカー(きよえちゃんは可愛い。)のようにありがとうだけが独り歩きすることも。あまり考えすぎるのは良くありません、エネルギーが減るのでありがとうと言うことが照れくさくなるからです。感覚的に、自然に生まれるありがとうが一番心に響きそうです。ありがとうを違和感なく使えている人のライフは潤いが途切れることはないでしょうし、きっと何かしらの達人なんだろうと思ってしまいます。

文章で使う場合は意外に簡単

言葉に出してありがとうと言うのは、意外に難しい事が分かりました。一方、メールや手紙など文章の場合、ありがとうは言葉にするより比較的使いやすいでしょう。その理由として、文章を書いている間、つまりありがとうと書いている間は、相手にまだ伝わっていないからです。受け取った側も、自分ペースで相手からのメールや手紙を読む事が出来るので、ありがとうという言葉に入れる気持ちは自分ベースで決められるからです。

文章で使う事は大事

英会話と同じで、ありがとうもトレーニングで使えるようになります。しかし、日常会話ではありがとうに気持ちを込めるという練習は難しいので、おすすめはメールなどで使っていく事です。不思議な事に、書く事で毎日ありがとうと書いていると、本当に有難く思う事が出来ていきます。そして、ありがとうと書く時は嬉しくなります。そうなると、自然に日々のライフでも使えるようになりますし、使う時は気持ちが自然に明るくなります。

ありがとう~自己啓発的な意味合いも?

実は、ありがとうという言葉にこんなニュアンスがある事に気付きました。

・ありがとう。(今度は私があなたのために頑張らなきゃいけない。)

だからでしょうか、自分はかなわないなと思う人からの何かに対して、ありがとうをいつも言う場合、少ししんどい気分にさえなる事があります。それは、ありがとうという言葉の中に、今度は自分がお返ししますという意味合いもあるからではないでしょうか。だからでしょうか、「どういたしまして」の意味はこうなっています。”何をしたというわけでもありませんから、気になさらないで。”

これは、ニュアンスの部分のお返しをしますという決意に対して、そんな事しなくても大丈夫と言ってくれているのかも知れません。だから、漢字で書くと、「有難う→有難い→このシチュエーションやあなたの好意はなかなかあるもんじゃない。」と時間の移りゆく速さみたいなものも感じ取る事が出来ます。まあ、どういたましてという側にとれば、ありがとう。(〇〇。)について、〇〇の部分が”申し訳ない”や、”当然だと思っているよ”など、どんなニュアンスの意味だったとしても、それら全部について、気になさらないでと言っているのでしょうが。

英語の場合、”どういたしまして”の部分は”You’re welcome"で、主語が私でなく、あなたである所が、キリスト教的です。私はあなたを歓迎しますではなく、あなたは、神から(誰からも)歓迎されていますとなるわけですから。”神から歓迎されているあなたになら、私はサンキューと言われた事をした事に対して、どうも思わないですよ、あなたは歓迎されているのですから”、というニュアンスでしょうか。

「ありがとう」の代わりの「ごめん」や「すいません」はNGな理由

本当に謝るべき状況でごめんねやすみませんは必要な言葉です。しかし、ありがとうでも、ごめんやすいませんでもいい状況で、すみません、ごめん、すんませんなぁ、すまんにゃぁとか言ってしまう事ありませんか?この点について、日本人はすぐに謝るという事なのでしょうが、実は日本人は客観視出来ているとも思います。特に、目上の人などとの会話では、目上の人が何かしてくれた事に対して、ありがとうございますというよりは、すみませんと言いがちです。しかし、親子、友人、会社などありがとうと言える場面で、すみませんやごめんというのは良くありません。

ありがとうという言葉の中には、今度は自分が(頑張って)あなたに何かお礼します~というニュアンス(ちょっぴり)が入っています。つまり、大袈裟に言えば自己啓発的な意味合いがあるのに対し、ごめんやすまんには自己の決意みたいなものが全く入っていません。ただ、相手をねぎらい自分が悪いと認めているだけです。子育てで言えば、ごめんねばかり言っている子は、いつのまにか自己喪失感にさいなまれていきます。しかし、ありがとうと胸を張って言い続けているだけで、自分ってなんかアマちゃんやなとは思いますが、いつか頑張ってお返し(大袈裟!)しようと思う事が出来ます。聞く側としては、すみません、ごめんねと言われるより、ありがとうと言われた方が少し上から目線な感じも回数を重ねると、ごめんねやすいませんに聞き慣れていると思うかも知れませんが、そのあたりは我慢して、ここはありがとうでいいんだよなどありがとうを広めていく方が、実はぎくしゃくしないでフラットな関係を築く事が出来ます。春のあたたかい日の微小なそよ風くらいの違いですが、続けているとかなり実感できるでしょう。つまり、ありがとうは言う側に特に過剰な自身喪失を与えない面でも有効な言葉だと言えます。同時に、聞く側についても、ごめんやすいませんだけしか返って来ない場合、相手を痛めつけている感じが強くなりますが、ありがとうだと相手に喜ばれている感が強くなる意味で言われる側の自信にもつながります。

ありがとうと言ったほうがお互いにとっていい場面で、ごめん系を使う場合はなんとなく違和感がありながらもお互いにスルー出来ますが、逆の場合、ごめん系を使うことを相手が求めていたにもかかわらず、ありがとうと出てしまうと、ここはごめんね系だろって思われる事もあるかも知れません。

ありがとうは感謝のフタ

日本語って、ややこしいと思われた方もいるかも知れません。しかし、肝心なのは言葉よりもその前の段階の気持ちです。ごめんね~と思いながらありがとうと言えば、たとえ、ここはごめんね系だよって思ってしまう人であっても、いいよいいよ~ってなるはずです。そう思えば言葉は薄っぺらいべっこう飴の様です。逆に、ごめんね系の言葉を言ったとしても、ありがと系な気持ちで言えば明るく言えますので、このテクニックが使える達人ならあまり言葉にこだわる必要はないのでしょう。

ありがとう=サンキューではない?

ありがとうと言うのが苦手だったり、ありがとうという言葉のあまりにも荘厳な部分に対して、少し日常的に使うのに勿体ないと抵抗がある場合、ありがとうの代わりにサンキューを使ってみてはいかがでしょうか。なぜか、ありがとうだと抵抗がある場合でも、サンキューなら抵抗なく使う側も、受け取る側も気さくに使えそうです。そうなると、ありがとう=サンキューではなくなるという事になります。もしかしたら、日本でのサンキューは、日本語でいう”ありがとさん♪”や”ありがとっ♪”くらいの、テンションはありがとうよりも高め、かつポップなニュアンスなのかも知れません。

必ずしもありがとうを言う必要はない?

ありがとうの種類は、シチュエーションに応じて、その数だけあるような気がします。ところで、ありがとうは必ずしも言う必要がない事があります。なぜなら、ありがとうは、感謝という気持ちを具現化する部分だからです。逆に言えば、感謝を具現化する手段は、ありがとうでなくてもいいという事です。気持ちの入っていないありがとうが無意味な様に、気持ちが入った〇〇なら、逆にOKと言う事です。わざわざ、そんな言葉やリアクションを考えるなら、素直にありがとうと言った方が簡単なのは言うまでもありません。








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